冬場の脱水症状はタチが悪いぞ
こんばんは。くろいぬです。
今日は仕事である意味人命救助(?)につながる事をしました。
私の職場は主に人と接する業界で、私はその事業所で広報事務を担当しています。
事務作業を中心とするのは私だけで、他のスタッフはみんな人前に出る仕事なのですが、本日は上司がずーっと休みなしで人と面会をしていました。
ふと事務所に帰った時に言った言葉
「朝から一口も飲み物飲んでないし、食べてなーい」
エエーッ!
めっちゃ軽々しく言ってますが、この感想の季節に何も口にしてないとは・・・
仕事ができる人は忙しいと言っていますが、ある意味生きる力がないのではと感じています。
ー水分不足ー
そう、水分が不足するのって、夏だけではなく冬にも起こるのです。
【冬の水分不足がもたらす悲劇】
夏は暑くて汗をかいて水分をとらなくては、と自覚することが多いですよね。
冬は夏ほど汗をかく機会が多くないと思います(全くないとは言わないです)
オフィスなどではエアコンで温度調節が行われます。そうなると室内の湿度もどんどん下がって行きます。
ただでさえ乾燥するこの季節の中、乾燥した空間の中にいるだけで身体に影響が出てきます。
・自覚のない脱水症状「不感蒸泄」
先ほどにも上げた通り、冬は汗の量が夏より少ないため、脱水に気づきにくいです。
しかし、皮膚や粘膜、呼吸などで、体内の水分はどんどん抜けていっているのです。
水分が少なくなると、乾燥した環境を好むインフルエンザやノロ、ロタなどのウイルスの繁殖が多くなり、抵抗力も低くなっているため、感染しやすくなるのです。
じわじわと体内から水分が失われることによって、以下のような症状が出てきます。
・皮膚がカサカサになる
皮膚から水分が抜けると、肌が粉をふいたり、あるいはかゆみなどの皮膚疾患が起こる事さえあります。乾燥した肌はちりめん小じわなどになり、老いて見えることもあります。
・頭痛
体内の水分が不足すると、血液中の濃度が濃くなります。いわゆるドロドロな血液。
こうなってしまうと、血管は必死に血流を良くしようとして拡張しようとします。
無理に血管拡張するため、神経が反応して頭痛に発展することもあります。
この時、気をつけなければいけない大きな落とし穴が「頭痛だから鎮痛剤を飲もう」ということです。鎮痛剤に含まれているカフェインという成分は、利尿作用があり、水分を排出しようとします。
ただでさえ足りない水分が排出されてしまうと・・・さらなる悪影響が出てきます。
・めまい、たちくらみ、気分が悪くなる
脱水症状は、水分が不足する「水分型欠乏」と水分&電解質が不足する「塩分型欠乏」があります。
あまりにも脱水が進んだ状態になると、水だけを摂取するとかえって脱水が進行してしまいます。この場合は水分と一緒にナトリウムやカリウムなどの電解質、少量の糖分を一緒に接種しなければ、浸透しないため注意が必要です。
スポーツドリンクや経口補水液が適しているといわれているのは、これらの条件を満たしているからなのですね。(スポーツドリンクは糖分が多いため、少し薄めて飲むのがいいとされています)
【冬の脱水を防ぐ方法】
乾燥を防ぐ方法は、
・湿度を50~60%に保つこと
乾燥している冬の気候は、湿度が大体29~35%くらいです(私の職場です)
この状態から加湿器を使えば1時間で45~50%前後まで上げることができました。
湿度を50%~60%にすることで、ウイルスの繁殖もおされられます。
加湿器が無い場合は、ぬれタオルを部屋に干すだけでもOK。
干す前に30回ほどブンブン振り回すと10%くらい湿度は上がります。
・やっぱり「水分補給を忘れない事」に限る
口が乾くと、口内もドロドロになってしまい、口臭の原因になります。
やはり、食事での水分補給はいきるために必要だと思います。
緑黄色野菜やくだものは水分・カリウムも含まれているものもあるため、是非食事に取り入れましょう。
はい、私は何にも食べない飲んでなーいという上司に
「アホですね??^^」って言いましたが、そんなこともあろうかとミネストローネを買っておいたのだ!
昼に買ったのに、晩ご飯にされましたけど。
青い顔で・・・シワシワの顔で(とくに喉の縦ジワがすごい)人間って一日で変わるもんなんだな、と水分不足の強烈なサインを見た気がしました。
頭の血管がこのままプツッと切れてお陀仏になることだってあるんです。
みなさんも、紅茶、コーヒー、大好きな型もいらっしゃると思いますが、
飲む前に「水とか電解質とったかな」って少しでも思い出してくれると嬉しいです!
ということで今日はこの辺で。
早く寝ねば!おやすみい!
や、や、辞めてやる~~
こんにちは。くろいぬです。
前回の記事の記事では、私が2回目の就職をするところまで綴りました。
今回はその続きを書いていきたいと思います。
ネットショップのアパレルで働いている時に一番試練だと思ったことは、品質に関してでした。
今や日本で扱われているリーズナブルな服や靴は中国製が殆どですね。
私の勤務しているショップでは、10~30代くらいまでのヤングレディースで、価格も2,500円くらいまでの商品で、子供から大人までたくさんの人に利用されていました。
服、靴の他につけまつげなどの雑貨もありましたが、一番辛かったのが「コラボ財布」です。
占い財布と呼ぶ事にしましょう。
雑誌とコラボして作られたよくある財布で、占い師とのコラボということでした。
もうね、占いって言うだけで超胡散臭いですね!
監修されているはずなのに一度も来社してない時点で怪しいと思っていたんですが、情報を盛る、超盛る。
「臨時収入が次々に!」とか「高額当選しました!」とか・・・
こちらの商品は受注発注で、3月頃から順次発送となっていたのですが、この時期は会社が適当に決めたものでした。
責任者が盲点だったのは2月にあるそう、中国の旧正月でした。
中国の旧正月は1月の正月より重視されています。日本のお正月のようなもので、殆どの労働は休日となり、爆竹を鳴らしてお祝いをしています。
はい。
そこで2月になって製造会社と連絡がつかなくなってから知ったとのことで、3月の納期に間に合うはずもなく・・・
予約していた客には当然謝らなくてはなりません。
エーッ!と思っていた矢先、私に下された業務が
「お客さんに謝っておいて」でした。
ちょっと時給800円には似合わないのでは・・・
そんでなくても普段からクレーム対応をして、自称ヤ◎ザみたいな奴らに押しかけられて(みんなもちろん助けてくれない)、心の余裕を無くしていた私には到底耐えられるものではありませんでした。
業務内容や雇用形態が釣り合わないと思ってはいたんですが、
「給与上げろ」とか正社員にしろ、とかは「力不足なのでは」と遠慮して中々言えないものです。
でも、相談するだけしないと何も進まないな、と思って意を消してチーフに相談しました!答えは
「オレが決める事じゃないから社長に言って」ということでした・・・
社長にすぐに言ったら
「オレお前が何してるか知らんし、チーフに言えや」でした。
アアアーー!!!なんたる完全ブラックはつげーん!
とりつく島もなかった~~~~~!!!!
一度も欠勤しなかったけど、ここから一気に体調を崩していきました。
青い顔で業務をしている私を、ただ一人だけ心配してくれる人がいました。
午後から3時間くらいの間に現れる、梱包担当のおばちゃんでした。
おばちゃんは「身体を壊してまでする仕事じゃないよ」と励ましてくれ、休むことや辞める事は悪い事ではないと教えてくれました。
人生経験ってこういう所で学ぶのですね。
辞めたい、というのは誰でもしんどい告白だと思います。
だから、バックレる人もいますもの。
このおばちゃんがいてくれたから、環境を変えることができた。
辞めさせていただきますって言ったら、周りの正社員からスゴい勢いで止められたんですが
「他にお前みたいなの雇ってくれるとこないよ」
「もう年齢的にも能力的にも風俗しか働けないよ~??」ってなことも言われました。
絵にかいたような、鉄板のブラック会社発言だ。もはや感動するレベル。
そしてボロクソの言われながら、わしは勝利を手にしたのであった。
辞めてからは体調を戻すことに必死でしたが、次なる問題がありました。
それは次の職を見つけてから辞めなかった事。
もうね、みているだけで頭の悪さが滲み出ていますが、
20代前半というのはこういうものだと、暖かく見守って頂ければと思います。
今日はこの辺で。ありがとうございました。
ブログ始めます!
はじめまして。くろいぬです。
このブログでは、「しばらく話す相手が会社の業務連絡の人間と家族しかいない」という私の吐き出しブログになります。
誰かの為になるっていうのは難しいことかもしれませんが、つらつらと書いていきたいと思います。
宜しくお願いいたします。
今回は自己紹介の事も含めて、私自身について書いていきたいと思います。
ちょっと重い部分もあるかもしれませんが・・・
あらためて、くろいぬと申します。
年齢はアラサーになって数年という所でしょうか。もう猿股の左右の色が違う傾向から―の服もすっかり似合わなくなりました。
数年前は髪の色を抜き、首にトゲを撒き、腰からわっかがたくさんついたベルトをジャラジャラ鳴らしながら歩いていたものです。誇らしい記憶・・・
最近はすっかり大人しくなり、ユニクロの機能性やデザインの良さがわかりつつあります。
あの頃は「服装髪型自由」のタグのついた職場しか選ばなかったのですが、一度社会から離れて引きこもり生活をし、職業訓練を経てからの就職では「御堅い系」で働くことになりました。
周りの人はもちろん、一番驚いてるのは自分だからね!
今の場所で働くまでの軌道を書いていきます。
正直、一番まずかったのは完全に向いてない職業を選んでしまった事。
やりたいのに向いてないっていうのを受け入れることは、精神が養われていないと難しい事だと考えています。
この時は美容師の仕事をしていました。学校も出て、国家資格もとったのに職業をかえることなんてできないと追い込んでしました。
しかし、向いてない仕事を選んだら結果は一つ、仕事ができるようにならないということです。
簡単なことなのにできない。なぜできない?みんなはできる?なんで?
そんなこんなで怒られ、給与泥棒と言われ、自分を攻め続けた末、最初の退職でした。
研修期間を含め、半年くらいでしょうか。
当時は何がしたいのか、何ができるのか分からない間は本当に一寸先が闇で、絶望の中を彷徨っている気分でした。
こうなってしまったのは、学生時代に自己分析がしっかりとされていなかったからですね。
退職後は働くことが怖くてニートを数年。
もちろん一人暮らしは愚か同居している親には毎日キレられ・・・
少ない貯金は精根ともに付きはて、絶対に働きたくないでござる状態。
なんとかしないと、とは思っていたのですが、悶々と過ぎて行きました。
ある時、昔イラストの趣味があり、HPで掲載しようと思って独学で学んでいたことを思い出しました。
全く経験がないけど、勉強して仕事に繋げたら私めっちゃかっこよくない!?みたいなもう若くてバカな発想だけど、この時行動してよかった。
親に土下座してお金を借りてPCスクールに通い、フォトショップ、イラストレーター、ドリームウィーバー(なつかしいですね)、PHPも少しだけ学んで学割でソフトもゲット。もちろん借金だよ!
そこで紹介されたインターンでは、27歳未満の若者だけ一日あたり7400円の支援を受かられる制度を利用しながら、4ヶ月くらい経験を積みながら貯金を貯めました。
インターン先ではPDCAに厳しく、行動につながらない私はなんども「口先だけだな」と指摘を受け続けました。
ちょっとニートが長かったクソなまけものの自分には厳しく感じ、早く出て行きたい!って就労意欲が湧いたので、インターンでは結果的に就労意識の荒治療を受けた感じです。
そして、レディースアパレルのネットショップに就職が決まりました。(と言ってもバイトだったんですがね)
この時2011年、3月14日。東日本大震災が起きた数日後の初出勤でした。
幸いにも、私が住んでいる地域には震災の影響は少なかったです。
そして親とも喧嘩ばかりだったので、飛び出すように職場近くで一人暮らしも開始。
給料は時給800円。
未経験の自分を雇ってくれるのはここしかない、やるしかないと思って働き始めたけど、今思うとこの決断は社会で自分の立場を身を持って理解する経験となりました。
時給が少ないから時間を延ばすしかない。
やったことのない電話応対。クレームも最初から任され、壁に向かって謝り方を練習しました。
この時の職場は残業を美徳とする所で、正社員も22時以降の退勤が当たり前。
口をそろえて行ったいたのが「家にいてもやることないから仕事する」で、ブラックな職場に残る人はブラックをブラックだと思っていないという認知の差を痛感させられました。
マネをして、自分も毎日23時まで働いていましたが、胃腸を悪くして食事ができなくなり(物理的にも食事が取れるタイミングがなかった)1年半で離職。
ここでまたニートのハジマリはじまり。
無職の間はとにかく働くことが怖くて転職活動もおぼつかず、勇気を出して派遣登録に行くも「若いからもうすこし社会経験を積んでから来てね」と仕事を紹介してもらず・・・
(ウェ◎スタッ◎、わすれてねーぞ。)
途方に暮れている私の過去の続きはまた明日。